愛は親が子どもに与えるものだと思っていた話

掲載日:2016年12月27日

皆さんは自分のお子さんにどんな風に育ってほしいと願っていますか?
年末にこの1年、そして今までの事を振り返ると
いろいろな気持ちが蘇り、胸が熱くなります。

私は妊娠中から「こんな風にに育ってほしい」という
ひとつの思いがありました。
それは「愛情深い子に育ってほしい」という気持ちでした。
(もうひとつ欲を言えば自分で決めることができるようになってほしい。です)

生い立ちなのか、それとももともとの個性なのか
私は愛情が薄いタイプでした。
別に誰かむやみに傷つけるような攻撃性はありません。
でも誰かを深く大切に思うような気持ちが
ずっとなかったように思います。
また、心からそれをずっとずっと求めていたようにも思います。

夫と出会い、恋愛し結婚するのですが
夫の愛情深さには度々驚かされました。
のろけているのではなく、夫の愛情にふれると
本当に「理解できない」「想像に及ばない」気持ちでした。
とても同等に返すことなんでできないものでした。

最初に驚いたのが自分の親への気持ちです。
私はごく最近まで親への感謝の気持ちが特にありませんでした。
離れていても、特に思い出すこともなく
寂しさも感じませんでした。結婚式も泣くこともなく、とてもドライな
感じで終わりました。
でも親から酷い仕打ちをうけたとか、仲が悪いわけではありません。
そして頭で考えれば親がどれだけ大切に育ててくれたのかは
想像がつきます。
でも「そういう気持ちが湧き起こらない」のです。

自分のそういった部分は生きる上で楽でもありましたし
寂しくもありました。
だから子どもができたら、夫のように愛情深い子に
育ってほしいと思っていました。

子どもが生まれ、わからない事との格闘でしたが
私にとっての難題は「愛情のかけかた」でした。
すべて手作りするのが愛情なのかと、いろいろ作ってみたり
写真を撮り上手にまとめるのが愛情なのかと、人を真似してみたり。
ただ可愛いと思う気持ちは愛情とは別なのではないか・・・
私はちゃんと愛せているのだろうか。

親からの愛情不足は〇〇な子どもになる。将来〇〇になると
色々なところで見かけるたび、心が痛みました。

イライラしていると、言葉も話せない子どもにわざと
冷たくしたくなる時がありました。
求めて歩み寄ってくるのに「来ないで」と邪険にしたこともありました。
独りって楽だったなあと。

SNSでほかのお母さんの育児を見ると、いつも愛情いっぱいに
見えて自分がポンコツの母親のように感じました。

それでも何度も何度も私を求めてくれる娘の姿を見て
私はまるで許されているように感じたのです。
「なんて子どもって愛情深いんだろう」と思ったのです。

私が愛情を与えるんじゃなくて
娘が愛情を与えてくれてるんだ
この小さな言葉も話せない子が、私に愛情を教えてくれているんだと
「愛情深い子に育てる」のではなく
もともと子どもたちは愛情深いのだと

そう思った時、はじめて自分を雁字搦めにしていた
「母親は無償の愛情を与えなければならない」という
私には難しすぎる言葉から解放されたような気がしました。

それから
娘の愛情に、自分なりの愛情を返そう
そんなスタンスでやってきました。
そう思うととても気持ちが楽でした。

大きな変化は、自分の親への気持ちが大きく変わったことです。
それは子どもたちが私に与えてくれた愛情によって
やっと私から湧き出てきた感情でした。

親が愛情を与え続けなければいけないと言われると
愛情のかけかたがわからない母親父親は困ってしまいます。
でも最初は子どもからの愛情を受け取っているだけで
だんだんと変わっていけるんだなと。

年末に写真の整理などをしていて
こんな気持ちがあったことを思い出しました。

みなさまにも愛情いっぱいの年末年始が迎えられますように。

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