泥団子を褒めるか、作った子どもを褒めるか【子供の褒め方】

掲載日:2018年05月6日

公園で子供が泥団子を持ってきたときに、あなたはどう褒めますか?

A 泥だんごを作ったあなたはスゴイ(人格を褒める)
B すごい泥だんごを作ったね(成果を褒める)

先日読んだ本にこんな問いがありました。

日本赤ちゃん学会理事長・同志社大学赤ちゃん学研究センター長 小西行郎教授の
「はじまりは赤ちゃんから」という本です。
「子どもの脳によくないこと、赤ちゃん学、脳科学を生かす子育て」には
もっと詳しくこの内容に触れていました。

子どもの脳によくないこと: 赤ちゃん学、脳科学を生かす子育て

私は迷わずにAと心の中で答えました。
子供を褒める時、基本的には成果ではなく人格を褒めるようにしていたからです。

保育園や幼稚園の先生の多くもA。と答えるそうです。

私が人格を褒めるように心がけていた理由は
ざっくり言うと、成果が出なくてもチャレンジしたことを褒められるからです。

本の中の小西教授の答えは
B。
成果を褒めてほしいと。

たくさんの経験や研究をされてきた先生は
「この泥団子はすごいね!」と褒めた方が子どもは喜ぶ
と書いていました。

そしてそこには大切な続きが・・・

「この泥団子すごいね」
「どうやって作ったの?」
この、どうやって作ったかを加えることで、豊かなコミュニケーションが
生まれ本当の意味での満足感が得られると。

じゃあ気になるのは失敗してしまった時。
「がんばって作ってたね、何が失敗だったんだろうね?」と
聞いてあげ、
一緒に作ってあげたり、どちらがうまくできるか競ったり
体験を一緒にすることが大切だと。

この内容はまさに目から鱗でした。
褒める事が大切ではなくて「理解して」「体験」することが大切。

確かにそうなのかも・・・?
と自分の過去を振り返りました。

私は幼少期、特に褒められて育ちませんでした。
どちらかというと怒られて育ったと思います。
でも「親が私を理解してくれている」「認めてくれている」
という感覚は大人になってからもずっと残っていて
自分の人生の基礎を築いているとおもいます。

「親が私を認めてくれている」という感覚は
褒めらてたから根付いたわけではなく振り返れば
「選択を否定されない」「話を聞いてくれる」の積み重ねだったように思います。

不器用で、失敗や迷惑をかけることが多い子ども時代でした。
でも「Aをやってみたい」と思った時に
「Bにしておきなさい」と先回りされた経験はあまりなく
(ルール外の事は別です)
Aをして失敗し、怒られる経験はたくさん残っています。

子供の時は
「なんで先に教えてくれなかったの?」と不貞腐れることもありましたが
「親が私を理解してくれていない」と拗ねることはありませんでした。

私は自分が子供の頃「もっと褒めてもらいたかった」と思った経験から
なるべく褒めて育てようと思っていますが
褒めることは意外と難しい事なのかもしれません。

褒めるにはよく子どもを見て、どこをがんばっているのか工夫しているのか
よく知っておかないと
ちゃんと褒められないという事だと思います。

泥団子の話で言えば
泥団子を作っている最中は無関心で
完成した泥団子だけすごく褒めても
確かにあまりうれしくないのかもしれません。
これは大人も同じですね…。

私自身褒めることが習慣化してしまっているなぁとハッとさせられたし
きっと子供たちも褒められることが習慣化してしまっているのでは
ないかと思います。

この本を読んだことで、
自分の褒めるをもう少し見直していきたいと思いました。